今はまだ名前のない

 

 魔王と呼ばれたハワードが倒され、ハワードに囚われていた王女は、彼を倒した英雄達の一行の一人と結婚する。
  圧政と暴虐とモンスターの恐怖から解放された人々に公表された、そんな喜ばしいニュースは、またたくまに世界へ広がった。
  そして、王女と英雄の結婚式は同時に戴冠式となり、彼らは新生アレサ王国の王とその妻として世界中から祝福を受けた。

 美しい王女様と、それを救った勇者。
  その陰に隠れて、もう一人の王女と魔法使いがいたことはあまり世間には広まらなかった。もっとも、彼らは英雄扱いされるのも、世紀のロマンス呼ばわりされることも望んではいなかったのだが。

 「見てよ、ドール。この絵!」
  けらけらと笑いながらマテリアが差し出す一枚の絵に、ドールがぶふっとすすっていたお茶を吹き出した。
  「なんだよこれー。もしかしてエミーとシビルかぁ?!」
  「そう、愛し合う二人の思いが魔王ハワードを倒し、二人は結ばれたのです、だって!」
  差し出された絵には、左手にはエミリータの腰を抱き、右手には剣を構えてゴールドドラゴンに立ち向かうシビルの絵が描かれている。
  美化200パーセント(やのまん比)だ。
  「しかしまあ、飽きずに出すもんだよなあ、色々。伝記に、肖像絵に、これはお守りかぁ」
  商魂たくましいとしかいいようがない露天商売と、さらにそれを全部買い込んでくるマテリアに、ドールはこめかみを押さえた。
  平和になってからというものの、この手のものが日々大量に世の中に出回っている。アレサ城の城下町であるハロハロの町以外にも、彼らが旅の途中で立ち寄った町が「女神様ご到来の町」などとのぼりを出している始末。
  マテリアはといえば、自分がエミリータの双子の姉妹で、容姿が酷似していることを十分に利用し、この手のアイテムを上手に値切って買い込んでくる。
  買い込んだアイテムをどうするかといえば、最近寝込むことの多くなったおじいに見せて話の種にし、その後でドールに見せてお茶うけにし、そして最後にシビルに送りつけて嫌がらせを楽しむという一つで三つ美味しい遊びを楽しんでいるらしい。
  今日も今日とて、戦利品が二人の前に積み上がっている。
  その隙間を縫うように、ドールの焼いたクッキーと、マテリアの入れたお茶がテーブルの上に置かれていた。
  お茶にうるさいおじいの勲等で、マテリアはお茶を入れるのだけはうまい。
  それがどうしてお茶菓子になるとああも無惨な出来になるのかは謎だ。
  最近ドールは、マテリアの料理の腕前を戦闘に応用できないだろうかとかなり真剣に考えている。威力は申し分ないが、モンスターがどうすれば彼女の料理を口にしてくれるかが最大の問題だ。
  「あら、いいじゃない。それだけ平和って事よ」
  美味しいー、と、ラズベリージャムを乗せたクッキーをぱくつきながら、マテリアが笑う。クッキーをつまんだついでにその辺のタオルをドールに投げてよこした。サンキュ、と言って、ありがたくそれを使用させてもらう。
  吹き出したお茶で染みになってしまった絵はもう暖炉のたき付けにするくらいにしかできないだろうが、そもそも類似品は山のようにある、問題にはならない。
  「平和なのはいいんだけどね。なんで君のがないんだよ」
  「あら、だって。あたしだったら、助けられるのを待ったりなんかしないもの。
   あたしはお姫様になんかなれないわ。だから、いまいちおとぎ話に向かないのよねー、だからじゃないかしら」
  あっけらかんと剣士は笑う。
  「あーあ、ハワードも、エミーじゃなくてあたしを攫ってくれればよかったのに。あたしだったらただ捕まってなんかいなかったわ、きっと。隙を見て剣を手に入れて、あいつと一騎打ちよ!」
  「……ハワードも、見る目があったって事だろ」
  拳を握って力説するマテリアをさらりといなして、ドールは自分もマーマレードを乗せたクッキーに手を伸ばした。
 
  もし。囚われていたのがマテリアだったら?
  シビルの手の中にいるのがエミリータではなくてマテリアだったら?
 
  一瞬そんな考えが頭をかすめたとたん、ドールは手にしていた絵を暖炉に投げ込んでいた。
 
  「ドール?どうしたの」
  「何でもないよ、マテリア。ちょっと虫が付いてたんだ」
 
  昔、作られたばかりの頃、今よりもっと人間を知らなかった頃、人間の三大欲求というものを魔法使い達に教えられた。
  睡眠欲、食欲、性欲。
  この3つの「欲」は人間には生きていくために欠かせないものであり、耽溺はよくないが、適度には必要なものだと。
  その欲求を持たずに生まれたドールだったはずだが、マテリアやシビルと旅する間に彼らに合わせて夜は目を閉じ、一日に数度の食物を口にする習慣は身に付いている。
  ただ、それはあくまで習慣であり(高じて料理は趣味になったが)、「欲」というほど強いものではなかった…はずだ。
 
  生きていくのに欠かせない、衝動を欲と呼ぶならば。
  今、傍らにある存在に感じる、この衝動は何と呼べばいいのだろう?
 
  それは欲ととてもよく似ていて、けれど世間一般的にはそれとは少し違う言葉で呼ばれる感情だと言うことを、本人達だけが知らない。
  …今は、まだ。

2007.2.19up

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