忘却の救い


  わずかに発光するクリスタルで作られたアレサ神殿の中を、一人の女性が歩いていた。
  歩む先にあるのは、白い光の柱。
  ここはアレサ神殿。世界の中心。
 
  女性の元は蜂蜜色をしていた髪の毛は既に霜が降りたように白く、手にした杖に寄りかかるようにしてゆっくりと歩いていく。
  その歩みにも、眼差しにも、何の迷いもなかった。

 光の柱に辿り着いた彼女は、長い年月でかさつき、しわの寄った手を柱の中に納められた指輪にのばした。

 それは言えなかった言葉の代わり。
  いつか交わした遠い日の会話。
  マハルの国へ行く、という手紙一通を残して彼女をアレサ王国に残して旅立った魔法人形を追って、ようやく追いついたあの日に交わした最後の、彼との会話。

 

 「どうして一人で行くのよ?!」
  混沌の魔物を倒すために一人で旅立つとマテリアに告げたドールに、マテリアは激怒して食ってかかった。
  「どうしてって…決まってるだろ。君の旅の目的は、君のパパとママの敵を取ることと、アレサ王国を復活させることだったんだから。
  …でも、これからの僕の旅は違うんだ」
  嫌になるほど冷静な表情で、ドールがマテリアに告げた。
  こんな突き放すような言い方をされたのは初めてで、驚愕にマテリアの視線が揺らぐ。
  「君の今までの旅は、戻ってくるための旅だったろ。
  フロイドさんの所や、エミーの所や、ハロハロの町にさ。
  だけど、僕の旅は違うんだ」
  単に今度の旅のことだけではなく、生き方そのものが彼女と違うと突き放すような口調だった。
  ドールの視線が、ふっとずれる。その向いた先には、ミルローズがいた。
  ドールと同じ魔法人形の女の子。
  マテリアの胸が、酷く痛んだ。
 
  マテリアは魔法についてあまり詳しくない。騎士だったフロイドに育てられたせいもあるが、そもそも本にかじりついて勉強するよりも、外で剣を振るっている方が好きだった。
  だから、魔法の粋を集めて作られた魔法人形について知っていることもほとんどない。
  それでも、魔法人形が人間ではないのだと、人の手によって作り出された命だと言うことは今までドールと一緒にしてきた冒険の中で知ることができていた。
 
  「それ…どういう意味よ」
  自分の声がみっともないほど震えている。白くなるほど握りしめた拳も震えていた。
  ため息をついたドールの声がおもむろに言葉の続きを紡いだけれど、彼がどんな表情でそれを言ったか見る勇気は、今のマテリアにはなかった。

 「言わなきゃ、わかんないかなぁ。
  …ミルローズと会って、分かったんだ。
  僕は、人間とは違う。同じ魔法人形同士じゃなきゃ、分からないことっていうのもあるんだよ。
  だから、マテリア。君はハロハロの町に…」
 
  「馬鹿っ!!」
  言葉の続きを聞きたくなくて、手加減なしで帽子をかぶった頭を殴りつけた。
  何か後ろでドールが言っていたが、何ももう聞きたくなくて、耳をふさいで自分の寝台に逃げ込んだ。
  マテリアはその後泣きながら眠ってしまって、朝が来たとき、もう宿にはドールの姿はなかった。

 ねえ、ドール。
  あたし、あんたにちゃんと言えばよかったね。
  あの時、ほんの少し勇気があれば、あたしはあんたにきちんと言えたんだろうか。
 
  そんな事を思いながら、マテリアは手に持った杖をゆっくりと頭上に掲げた。
 
  あれが最後だった。混沌の魔物を追って、ドールは旅立ってしまった。
  いつ戻ってくるのか、そもそも戻ってこれるのかも分からない。
  それでも、マテリアは待っていた。いつか彼が帰ってくると信じて。
 
  「でも、そろそろ待っているのも限界だから…」
  エミリータもシビルも既に他界した。
  アレサ王国とアレサ神殿は彼らの残した小さかった双子が継ぎ、世界は平和に日々を繋いでいる。
  仲間内では一番長寿を重ねたマテリアではあったが、そろそろ「その日」がくることを感じ取り始めていた。
  命ある物として生まれた時から、必ず迎えることが決まっているその日を。
 
  ねえ、ドール。
  あんたは今でも笑えている?
  元気でいる?
  幸せでいる?
 
  マテリアがマハルの呪文を唱え始めると、かざした杖が輝き、その光が彼女を包み込んだ。
  マテリアはそのまま、光の柱へと歩み寄る。
 
  魔法人形に、寿命は存在しない。
  疑似生命だから、マテリアのように静かに歩みくる死というものは恐らくないのだろう。
  だからこそ、きっと死ぬと言うことがドールは怖かったのだろう、と、マテリアは静かに思う。いつ死ぬか分からない恐怖、それが彼にとっては生きると言うこと、そのものだったのだろう。
  戦いの中であれば、人間も魔法人形も等しく、その命が急に消えても何の不思議もない。だからドールは、きっと戦いを求め続けたのだろう。
  けれど。
  いつまで彼は強くあれるのだろう。
  たった一人で、戦いを求めつづけてさすらう、永遠の旅人として生きることを選んだ彼を恨むつもりはもうマテリアにはないけれど、ただそれだけが心配だった。
 
  光の柱がマテリアを包む。
  彼女の体が透けて、ゆっくりと光と同化していく。
 
  ドール。
  あたし、うぬぼれていいかな。
  あんたがあのときあたしを置いていったのは、あたしが大事だったからだって思っていいかな。
  あたしがあんたに幸せでいて欲しいと思うのと同じくらい、あんたもあたしに幸せでいて欲しいって思っていたってことでいいよね。
  違うなんて言わせない。あたしに何も言わなかったあんたが悪いんだから、あたしはもうそう決めるからね。
 
  少女の願いだった「会いたい」と思う気持ちは、年月とともに純化されて、ただ「幸せであれ」と祈る願いに変わる。

 あえなくても、いい。
  昔の事なんか、忘れてしまってかまわない。
  でも、どうかこの願いだけは届いて。
  幸せになって。幸せに生きて。
  そのためなら、あたしも世界もどうなったってかまわない。
 
  『金を銀と結び
   定めのもとに光が統べ
   アレサに我を収めよ!』
 
  思いを込めて、命の限りにマテリアはマハルの呪文を唱えた。
  ドールが、自分のいない世界で永遠を生きていけるように。
 
  あんたが忘れても、あたしはあんたを忘れないわ。
  あんたに会えて、ほんとにあたしは幸せだったから。
 
  微笑みは、光に溶けて。
  後には、ただ静寂だけがアレサ神殿に残っていた。

2007.2.19up

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